第09号(平成6年4月1日金曜日)
樫葉会を 会長 吉岡宏之
樫葉会もはや28年目を迎え、30周年の節目も2年後に迫り、会員数も一万数千名となり次第に伝統的な陣容を整えつつあります。常 日頃会員の皆様に対しましては樫葉会への理解と協力を賜りまして、深く感謝しております。私自身も平成3年に会長に就任して以来、生駒高校とのパイプ役を果すべく、高校行事に大いに参加するように努めている次第であります。加えて学校サイドからも文化祭体育祭等春夏秋冬の行事への招待が多数来ています。その中でとりわけ、私が高校時代所属していた事もある夏の高校野球選手権大会は楽しみにして居り時間の許す限り、試合当日には応援に駆けつけるようにしています。現在1回戦は1年生全員の応援参加となっていて、私も1年生に紛れ込みグランドの後輩達に工ールを送り、何時の間にか世代を越えた連帯感で応援を展開している状況でした。
毎年奈良県も相当激戦ですが、野球部も大いに奮戦してくれ、ここ数年来1回戦突破が定番化していて大いに意気上がっております。センターポールに生駒高校の校旗がひるがえり、校歌の斉唱ともなれば、球児ならずとも胸に熱いものを感じるのを禁じえません。
今後の健闘と躍進を希望しています。
そこで、同窓生諸君も、高校生時代のクラブ活動を思い出して、各々の大会等の応援に参加しては如何なものでしょうか!!「青春応援団」としてのお互いを胸に、母校への新たなるアプローチを期待して居る次第であります。
新装 食堂
私たちが30年間親しんできた食堂が、平成5年の夏休みに改装され、2学期から新しくスタートしました。
食堂内は明るく清潔な雰囲気になり、机・椅子もすべて新しくかわりました。昼食時にパンが売られていた後ろの壁には今年卒業の小木曽君の作案した絵がタイルに描かれています。
生駒高校の校章である樫の葉が図案化され、伸びゆく生駒高校生をイメージしたハトや、春夏秋冬を表わす絵が描かれており、やわらかい色合いの作品です。
卒業生の皆さんもきっと一度は食堂を利用されたのではないでしょうか。
そこで、改装の記念に食堂30年の歴史を振り返ってみました。昭和38年
先生のお弁当を配達
生徒にはパン・牛乳を購売部で販売
昭和41年 食堂完成
うどん30円
カレー60円
昭和43年
うどん40円
カレー80円
昭和48年
うどん60円
カレー90円
定食90円が加わる
昭和49年
ビンのジュース・アイスクリームが加わる
昭和51年
うどん140円
焼飯190円が加わる
自動販売機を置く
昭和58年
きっねうどん170円
きざみうどん150円
天ぷらうどん200円
カレー230円
めし(100円)・パン類(50~150円)が加わる
昭和60年
中華そばが加わる
昭和63(平成元)年
きつねうどん170円
天ぷらうどん200円
中華そば200円
カレー250円
平成5年夏 新食堂完成30年この食堂で働いてこられた西岳さんに、改装後の感想をお伺いすると、器をきちんと片づけるなど生徒のマナーがよくなり、また調理場の中にトイレができ、休憩室もきれいになったので、大変便利だ、ということでした。
そして、利用している生徒達にインタビューをしてみました。
・きれいになった
・広く、明るくなった
・使いやすい
・返却口が変わって片づけやすい
・メニューが増えてうれしい
と、なかなかの評判でした。私の印象としては、第1に明るくなったということです。ゆっくりくつろげる雰囲気になっていたので、休み時間に利用する生徒が増えたのではないでしょうか。
皆さんも学校訪問の機会があれば、新しくなった食堂をのぞきに行かれるとよいと思います。
いこまおろし
王寺駅前のミスタードーナツ。午後4時。学校帰りの高校生が入って来ます。その中に生駒高校生の姿を見つけては、1年前に卒業した私達の生駒での学生生活を思い出します。▼私にとって学生時代とは部活動でした。バスケットボール部に所属していた私は、仲間とボールで過ごしていたと言っても過言ではありません。私の中には、勉強をし、仲間とはしゃぎ、そして恋もした思い出がいっぱいつまっています。▼今、みなさんの胸の中には、生駒高校でのどんな思い出がつまっているのでしょうか?部活動ですか、修学旅行ですか、仲間との思い出ですか、それとも恋心をいだいていた人への思いでしょうか。勉強のことだったのですか。言い出したらキリがないでしょう。▼多くの大切な思い出を持っているからこそ今の自分に道が続いているのだと思います。過去があるゆえに未来があるのだと。▼これを読んでいるみなさんにも様々な思い出があると思います。その思い出を大切に胸の奥にしまっておくためにも、一度今の生駒高校に足を運んでみませんか、胸をはって、青春時代を思い出しながら、あの坂を…▼私はふと生駒の生徒を見て自分の思い出をふり返り「いいものだ」と思います。
卒業生の活躍
母校からの「巣立ち」 22期生 田中チサ
早いもので、高校卒業以来7年目の年を迎えた。卒業式の帰り道、生駒高校への坂道を振り返り「もうこの坂道をのぼることもないだろうなあ。」と感概にふけったものだが、縁あって母校で教鞭をとることになった。今回で2度目である。
初めて生駒高校の教壇に立ったのは平成3年の4月だった。生徒としてなれ親しんだ教室へ教師として足を運び、恩師の方々と机を並べる。こうして私の教師生活は始まった。卒業生の私に先生方は何かと心を配って下さり、ご指導をして下さった。その度に私は、母校のありがたさを身にしみて感じるのだった。
高校生の当時、服装について何度も注意する先生がわずらわしく、生徒の志望校合格を我が事のように喜ぶ先生の姿を奇妙に感じたものだ。しかし、母校での教師生活を経験し、そういった先生方の生徒への思いを少しは理解できたように思う。私も少しは成長したということだろうか。
4月から大阪で教師をすることになり、3月末で生駒高校を退職する。その時が真の意味での、母校からの「巣立ち」の時となるであろう。後輩について思う
25期生 林 知子
生駒高校を卒業した今、私達は後輩達を駅や街角でと、学校の外側からしかみることができません。自分の高校時代と比べてみて、みんな変わったなあとか、全然変わらないなあとか思ったりするのでしょうが、それは非常に外面的で、彼らの内面(何を考えているか)はわかりません。私の印象では、私の在学中より少し外見が派手になったかなということと、そのわりに私の在学中と同じく、内面から滲み出る元気のよさのある子が少ないなという感じでした。
この様に感じていた私に我が後輩達と学校の内側から接する機会が与えられました。昨年6月、母校に教育実習生としてお世話になったのです。2週間後輩達と過ごして感じたのは、皆それぞれに素直な子ばかりということです。感じたままに話し、笑う子達。元気がないということではなく、自分にとってもっと打ち込むものや感動できるものがあるということ、自分にもっと物事に打ち込み感動できる力があるということを知らないだけなのでしょう。素直な心をもつ彼らですから、一生懸命頑張って自分なりの充実した生活を送って欲しいと願い、それを語った2週間でした。
クラス会だより
想えば15年前の4月、高校生活に期待と不安を抱いて上った桜の花咲く階段、そして今回30才となった同窓生60名が、12年振りの再会に胸ふくらませ、創立30周年を迎えた校門をくぐった。平成4年の12月、同級生の披露宴で久し振りに顔を合わせた悪友7人が想い出話に花を咲がせた。「おい今度同窓会しようや。」「ほんまやなあ、一度皆の顔見たいなあ。」の一言で開催が決まった、それもクラスを越えた同窓会である。場所は色々と考えた末「やっぱり学校がええ、それも食堂や。」ということになり、経営者の西岳さんの御好意を得て、今回の同窓会が実現した。
4月18日当日は、予定通り晴天に恵まれた。スタッフの7人は、出足が悪いのでは等、色々と心配したが、男子36名、女子24名元気な顔を見せてくれ、容姿こそ変わってしまった面々もいたが、12年前に戻って楽しい一時を過ごした。同級生同志での結婚が2組、先輩、後輩組も1組と、ひやかされながらも、まだまだ独身貴族も多く、また職業も、会社経営や公務員、そして勿論主婦と様々で十人十色の人生だなあと実感した。 今回はスタッフの独断でランダムに招待状を発送したが、次回は全員は勿論恩師の方々も招待し元気に再会する事を確認しつつ、想い出の母校を後にした。
末筆ではありますが、西岳さん、そして当日アシストをしてくれた後輩達に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。