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 今回は少し古いお話をさせていただきます。
 奈良東養護学校の前身は県立西の京養護学校と県立七条養護学校です。
 西の京養護学校は、大阪万博の翌年 1971 年(昭和 46 年)に奈良県初めての知的障害のある子どもたちのための養護学校として開校しました。この頃はまだ、就学猶予や就学免除といった制度があり、特に障害の重い子どもたちは学校へ通うことができませんでした。
 しかし奈良県では、「養護学校をつくるからには、障害の重い子どもたちから入ってもらう」という方針の下、西の京養護学校は開校しました。でも、教員はとても少なく、1クラスの児童生徒数8人に対して教員は1人でした。児童生徒の安全確保もままならないことは火を見るより明らかでしたので、開校後しばらくは「付き添い入学(保護者が必ず付き添って通学すること)」が入学の条件になっていました。また、1975 年(昭和 50 年)に県立大淀養護学校が開校するまでは、奈良県すべてが西の京養護学校の通学区域でした。一番遠くは五條市でした。保護者の一人が大型バスの運転をすることができましたので、早朝に自家用車で五條のバス車庫まで娘さんと行き、2人でスクールバスに乗り換えます。お父さんの運転するスクールバスが学校に向けて北上していきながら、途中のバス停で友達親子を順次スクールバスに乗せていきます。そうやって片道2時間30分かけて西の京養護学校へ通ってきていました。学校では保護者も教室へ入り込んで授業を行っていました。
 そのような現状を改善するために保護者と教員は、「先生の数を増やしてほしい」「県南部に養護学校を建ててほしい」など、関係機関に粘り強く働きかけていきました。開校から 10 年近く経って、付き添い通学は完全になくなりました。
 西の京養護学校の記念誌には、「...困難な教育条件の中で『どんなに障害の重い子どもにも教育を』という理念を実現していくためには、保護者と教員ががっちりと手を組み、多くの方々の協力を得ることによって本校の教育実践も教育条件の改善もできたといえます。」と書かれています。そんな伝統と歴史のある養護学校の流れをくむ、奈良東養護学校です。

校長 寺田 典央