学校長より
いつも奈良東養護学校のホームページをご覧いただきありがとうございます。
6月16日は本校の創立記念日です。創立20周年になりますので、前回の続きで奈良東養護学校の今に至るまでの経過をお伝えします。
前回、お伝えしましたように、平成16年(2004年)の秋に奈良県教育委員会から「障害児教育諸学校適正化実施年次計画」が示され、平成17年(2005年)に奈良東養護学校が開校しました。
その後、平成23年(2011年)3月に、「奈良県の特別支援教育の方向性‐グランドデザイン‐」が示されました。この「グランドデザイン」で本校は大きく変化していくこととなります。
平成24年度から、知的障害教育部門(高等養護部を除く)の通学区域(奈良市東部)に大和郡山市が加わり、病弱教育部門の訪問教育部が県立奈良養護学校へ移管されました。大和郡山市在住の児童生徒は当時、県立二階堂養護学校に通学していました。通学区域変更については、当初3年間で行う計画でしたが、児童生徒の混乱を極力小さくするために、8年かけて完了する計画に変更されました。また、高等養護部は、専門教科の授業時数を増やすとともに、特色ある教育課程として「福祉・くらしコース」と「農園芸コース」を設けることとなり、1学年の学級数も2学級から最大4学級にまで増加しました。通学区域も奈良県全域に変更され、田原本町にある県立高等養護学校の教育課程との違いを踏まえて、生徒たちはどちらかを選択、受検できるようになりました。
さらに、平成26年(2014年)には、県立明日香養護学校で病弱教育部門高等部の通学生の募集が開始され、本校の病弱教育部門は平成27年度(2015年度)卒業生を最後に閉じることになりました。
また、高等養護部は、県立高等養護学校において平成28年度2学年生徒から始まる高等学校三校(山辺高校、二階堂高校、高円高校)への分教室設置策への一体化により、平成27年度入学生を最後に募集停止となりました。そして、高等養護部は平成30年の3月をもって閉じることになりました。
このような経過を辿って、本校は平成30年(2018年)から、現在の形の小学部・中学部・高等部のある知的障害教育校となっています。平成30年度の児童生徒数は166名、令和3年度の児童生徒数は181名でした。平成20年度からしばらく設置されていた「あそびの部屋」や「作業室」、「教育相談室」、「進路相談室」などは、児童生徒数の増加に伴って、普通教室へと転用を行っていきました。
その後も児童生徒数が少しずつ増えていき、教室不足から作業室を普通教室に転用していきました。令和3年度は、新型コロナウイルス感染症に対応するためではありましたが、学部別登校でのゆとりのある教育環境を経験しました。ゆとりのある教育環境等が、改めて本校の児童生徒に必要なのだと実感しました。
現在、令和7年度は、西の京校舎の図書室や会議室、資料室等を普通教室に転用して運用しています。今後は県立奈良養護学校の移転に伴い、本校の通学区域の変更も予定されています。本校の形態はこの20年間で大きく変容してきましたが、「明るく、仲良く、たくましく」子どもたちが育つよう、児童生徒の能力等を最大限にまで伸張させられるよう、私たちは日々の教育活動に全力で取り組んでいきます。
校長 寺田 典央
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○6月当初学校長より
さぁ、6月に入りました。
在校生のみなさんには文書でお知らせしましたように、今月16日は本校の創立記念日です。今年で創立20周年を迎えました。奈良東養護学校がどのように生まれ、今に至っているのかを2回に分けてお伝えします。
平成16年(2004 年)の秋に奈良県教育委員会から「障害児教育諸学校適正化実施年次計画」が示され、その中で県立西の京養護学校と県立七条養護学校を統合して、県立の養護学校を設置することが示されました。隣接しているとはいえ、二校は障害種別が異なることもあり、意識的な学校間連携はないまま運営されてきていました。しかし実際には、平成15年度から、西の京養護学校の教室不足を理由に高等部の学習教室として七条養護学校の教室を借用していました。上記の「適正化実施年次計画」の発表を受けて、西の京養護学校と七条養護学校の現場では、両校教職員で「統合推進検討委員会」を設置し、校舎利用の方法や児童生徒の安全対策及び相互理解の進め方、校名や校章、教育目標等が検討され、平成17年(2005 年)4月に「奈良県立奈良東養護学校」が開校しました。
平成17年4月11日には病弱教育部門の入学式が、翌、12日には知的障害教育部門の入学式が挙行されました。当時は病弱教育部門(児童生徒数は28名)に病弱部と訪問教育部がありました。知的障害教育部門(児童生徒数は206名)の通学区域は奈良市と生駒市でした。翌、平成18年には知的障害教育部門の中に高等養護部が設置され、順次入学生を迎えていきました。奈良東養護学校は新しい学校として歩み始めましたが、西の京養護学校と七条養護学校は各の歴史を歩んできたため、学校行事や校務分掌等に係る考え方や運営方法等の相違は少なくはありませんでした。そのため、この頃の校内では様々な場面で「奈良東はひとつ」をキーワードに部門や学部間の意見を調整し、丁寧に話し合いを積み重ねていきました。平成19年には知的障害教育部門の児童生徒数は238名(高等養護部22名を含む)、病弱教育部門の児童生徒数は22名となっていました。
そして、平成20年(2008 年)に「統合のシンボル」として、児童生徒の願いや言葉を盛り込んだ現在の「校歌」が生まれました。この年に県立奈良西養護学校が開校し、知的障害教育部門(高等養護部を除く)の通学区域が奈良市東部に変更されました。そのため知的障害教育部門の児童生徒数は133名(高等養護部39名を含む)、病弱教育部門の児童生徒数は21名になりました。しかし、奈良西養護学校の校舎改築工事が開校に間に合わず、本校で1学期を過ごすこととなりました。教室等が足りないため、本校の敷地内に奈良西養護学校のプレハブの職員室等を建ててしのぐこととなりました。夏季休業中に移転、2学期から新校舎での学習開始という事態への対応が求められました。(続きは後半へ)