同窓生メッセージ (120周年)
120周年祝いの式におきまして、
なお、桜井高校に縁(
桜井高校卒業生 現、御所実業高校 教諭 石川 亮平
「奈良県立桜井高等学校創立百二十周年記念 お祝いのことば」
この度は、創立百二十周年を迎えられましたこと、そして、先人の皆様方が築きあげられた長い歴史と伝統に大きな節目を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。
私も、桜井高等学校が母校となります。平成二十年三月に卒業し、早いもので十六年が経ち、今や子ども二人を育てる父親です。当時のことを思い返すととても懐かしく、様々な情景がよみがえってきます。本当に多くのことを桜井高校で学びました。高校時代に人生選択のきっかけとなる恩師とも出会い、今は、御所実業高等学校にて教諭として、そして野球部の監督として指導にあたっています。
当時、私は硬式野球部に所属していました。三年間の活動の中で、三名の監督にお世話になりました。とても珍しいことだと思います。一人目の姫嶋先生からは勝負への情熱を、二人目の戸田先生からは冷静さと思考を、そして恩師となる三人目の森島先生からは広く深い人間力を学びました。
たかが公立校、たかが桜井高校野球部、到底甲子園出場なんて無理だと周囲から言われるなかで、私は悔しい思いを持ちながらもどうしても叶えたかった甲子園出場を目指し練習に励む日々でした。そんな中、森島先生からは、「野球だけできる人間になるなよ。野球を通じて野球以外のことができるよう人間力を高めなさい。その中で甲子園にいけるチームになっていけばええんや。」とお言葉をいただきました。また、自分にとって厳しく目を背けたくなるような現実がきても、「まっすぐ受け止めて前進していきなさい。」と、森島先生からは厳しくも暖かく、野球を通じて人としてどうあるべきかということを常日頃よりご教授いただきました。私たちの代では目標は叶いませんでしたが、後に後輩たちが夏の甲子園に初出場してくれたことは、自分のことのようにうれしく、涙が溢れてきたことを今でも覚えています。人の心を動かすほどの大きなエネルギーに支えられ、そして成長できたことが桜井高校で過ごした一番大きな、そして大切な思い出です。
また、多くのご指導のなかでも特に大切にしていることがあり、「他尊自信」という言葉と、「恩返しではなく、恩贈り」というものがありました。他人を尊重し、自分の自信に変える。自分にいただいた恩は、次の世代に恩を贈っていく。今こうして大人になってからすべてが繋がり、心から大切にしていきたい教えになっています。
在校生の皆さんには、ぜひ今あるすべてを心から大切にしてほしいです。今ではないかもしれませんが、いつか必ず繋がるときがきます。その感動をぜひ感じながら青春時代を謳歌してください。応援しています。
長くなりましたが、これからの桜井高校のますますの発展、新たな未来を築いていかれますことを祈念いたしまして結びとさせていただきます。
書芸コース20期生 広陵東小学校 栗栖 由有
この度は、桜井高校創立120周年、心よりお祝いを申し上げます。
私は、書芸コース20期生として、桜井高校で3年間を過ごしました。ちょうど入学した年に110周年の式典に参加しましたので、10年という月日が経ったことに少し驚いています。それでも、高校時代を思い返せば、鮮明に様々な出来事を頭に浮かべることができます。中学生の頃から桜井高校の書芸コースで書道を学びたいと思っていた私は、部活動も書道部を選択しました。初めて古典や古筆に出会い、すぐに書写とは違った技法や表現の魅力に惹かれました。毎日朝から夜遅くまで筆を持ち画仙紙に向かい、何時間もかけてやっと一作品完成する。そのような地道な繰り返しでしたが、少しずつ自分の思う線や表現が出せるようになると達成感やうれしさで気持ちがいっぱいになったことを今でも思い出します。
また、作品を出品するだけでなく、書道を生かして沢山のことに挑戦さていただいたことを覚えています。入学してすぐに、恩師から「この書芸コースでは、書道の知識、技術を身につけるだけでなく、書道を通して人間力を磨いてほしい」と言われました。その時は正直、書道は基本的に1人で学び楽しむものではないの?と思っていましたが、書道パフォーマンスや、小学生に向けての書道教室、海外の学生との交流など、書道の枠を超えた経験を通して自分の想いを伝えることや、人と関わることの難しさ、楽しさを知ることができました。
そして、同期である仲間の存在も私の高校生活や現在においてとても大切なものです。昨年8月には、7年ぶりに書芸コース20期生の有志メンバーで集まり、書作展を開催することができました。働いていたり、子育てをしていたりと、それぞれが違う環境にいる中でも快く参加、協力してくれる仲間の姿を見て、私は桜井高校で本当に素敵な出会いをさせてもらえたのだなと実感しました。桜井高校の3年間で、お互いに切磋琢磨し、楽しいことも苦しいことも乗り越えた時間があったからこそ、今でも繋がりをもつことができています。
わたしにとって桜井高校は、いつもあたたかく、ほっとした気持ちになる「家」のような場所です。そんな桜井高校の未来に少しでも貢献できるように、新しいことにチャレンジしながら、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。最後になりましたが、桜井高校のますますのご発展を祈念し、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
中学校 英語科教諭 西元 亮人
桜井高校120周年おめでとうございます。歴史ある桜井高校の卒業生の一員として、この瞬間を迎えられることをとても嬉しく思います。
私が桜井高校に入学したのは17年前の話になります。校内に桜が咲き誇る4月に校門をくぐって、校舎に入った日を今でも鮮明に覚えています。
校門前にある大きな木、立派な講堂、茶室、食堂、楽しそうに学校生活を過ごす友達・・・。あの頃を思い出すと、今でも高校時代に戻ったような気持ちになります。
私は特色選抜で英語コースに合格し、2年次からは2年間同じ仲間と過ごしました。英語コースを受検したのは、「英語もちょっと得意やし、あかんかっても一般選抜もどうせ受けるし早めに受かれば・・・」という不純な理由でしたが、この決断がその後の私の人生に大きく影響すると思っていませんでした。英語漬けの日々でしたが、間違いなく今の私を作ってくれたのは英語コースでの2年間です。少人数でする英会話、その後にある長文読解、英文法の授業など・・・よくそんな中で耐えられたなと今でも思っています。それほど濃い桜井高校での日々でした。
そして、何より思い出されるのが3年間の硬式野球部での日々です。当時私の学年だけで部員が25人以上、3学年全員で80人以上という大所帯でした。「こんな中でやっていけるかな」と思いながら、必死に歯を食いしばってやってきました。いろいろありすぎたのでここでは割愛させていただきますが、今でも仲間が集まると「そんなことあったな」「あんなことあったな」と話に花が咲く、それほど濃密な3年間でした。最後の1年間はチーム内で大切な役割も与えていただき、その経験が今でも役に立っています。
私は現在、県内の中学校で英語科の教員をしております。人様のお子さんをお預かりする立場になり10年が経ちますが、悩み、考えながらも、それでも毎日やってくる子どもたちの顔を見ると「頑張らなあかんな」。そう思いながらこれからもきちんと子どもたちと向かい合っていこうと思います。 楽しい思い出も、苦い思い出も、今では自分の中で「良い思い出」となっています。
桜井高校で出会った友達、先輩、後輩、との思い出と先生方からの教えを胸に、これからも将来を担う子どもたちを育てていけたらと考えています。 これからの桜井高校に関わる皆様の益々のご発展とご多幸を、また桜井高校がさらにこれからも歴史を積み重ね素晴らしい学校であり続けるよう祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。この度は誠におめでとうございます。
桜井高校卒業生 元生徒会長 現 中学校国語科教員 村島未紗
この度は創立120周年誠におめでとうございます。 歴史ある桜井高校の卒業生として記念すべき日を迎えられたことを嬉しく思います。私が一般コースとして桜井高校に在学していたのはもう7年も前のことになりますが、ついこの間のように思い出されます。
桜井高校で過ごした3年間は私の人生にとってとても濃密な日々でした。 クラスメイトとともに青春を謳歌した日々、伝統ある書道部として作品作りに励んだ日々、その中でも一番心に残っているのは生徒会長として生徒会の仲間と共に桜井高校をよりよくしようと励んでいた日々でした。 当時、桜井高校の生徒会は活発に活動しており、地域の方々や他校の生徒や先生方とも沢山関わらせていただきました。先生達も自分たちのやりたいことを積極的に取り入れて活動させてくださっていました。
当時は毎日が忙しく、時には厳しいことも言われ、大変だなと思う時もありましたが、その経験が教員になった今も人との繋がりを大事に出来たり、失敗を恐れずトライ出来たり、その他にも様々な面で私の生きる糧になっていると思う事が沢山あります。 今でも時々桜井高校の同級生と集まると、当時のたわいもない会話を思い出してみたり、校歌を歌ってみたり、食堂の話をしたり、部活動の話をしたりして高校の話が絶えません。その度に在学していた頃を懐かしく思っています。
桜井高校に在学中のみなさんも失敗に恐れることなく人との繋がりを大切にし、新しいことにチャレンジして120周年を迎える伝統のある桜井高校の生徒としての誇りを持って精一杯今を楽しんでください。 最後になりましたが桜井高校の益々の発展を心よりお祈りします。
桜井高校卒業生(2017年度 70期卒業)現公務員 Y.Y
桜井高校120周年おめでとうございます。歴史ある桜井高校の卒業生の一員として、この瞬間を迎えられることをとても嬉しく思うとともに、桜井高校で過ごした思い出がついこの間のように思い出されます。
私は高校3年間、多くの先生方や仲間に支えられたと感じます。私は国語が苦手だったので、国語の先生には大変お世話になりました。また、卒業して数年経った現在でも連絡を下さりとても嬉しく思います。試験前には先生方の協力を得て試験対策をして頂いたり、生徒同士で教え合うことで仲間意識の大切さを学ぶことが出来ました。
部活動は、硬式野球部に所属していました。今振り返ると、もう少し努力していたらな…と思うこともありますが、楽しく部活動をすることができました。最後の夏の大会では、多くの先生方や生徒が球場に足を運んで頂き、最高の舞台でプレーすることができました。感謝です。
桜井高校では、学業以外にも多くのことを学ぶことが出来ます。私自身も職場で桜井高校の卒業生ですと言うと、それだけで良い評価を受けることもあります。これも先輩方が築き上げてきた歴史と伝統があるからです。桜井高校生であることを誇りに思い、感謝の気持ちを忘れず、残りの学生生活を楽しんでください。 最後になりましたが、桜井高校のますますのご発展を祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。
桜井高校卒業生 H・S
改めて120周年おめでとうございます。私自身も桜井高校で勉強だけではなく、様々なことを学ぶことが出来ました。壁にぶち当たったことも多々ありましたが、当時の先生方のサポートがあったからこそ3年間充実した学校生活が送れたと考えています。
桜井高校の素晴らしい伝統と、落ち着いた学校の雰囲気が私は好きです。
そんな素敵な桜井高校の更なる発展を心よりお祈り申し上げます。
在校時の思い出は、部活動です。私は吹奏楽部に所属しており、年に一度定期演奏会を開催していました。私が高校2年生のときにその演奏会で企画したミュージカルの準備が特に楽しかったです。曲の選定だけではなく、小道具の創作や台本作りを仲間たちと行い、本番で成功させることが出来ました。とても達成感があったことを覚えています。
さらに、昨年度私は、教育実習でお世話になりました。私が一番印象に残っているのは、ホームルームの授業です。この授業では「自分たちの幸せとは何か」についてクラスの生徒たちと考える時間でした。その時に私は実際に自分の経験を話しました。涙を流しながら聞いてくれる生徒や、真剣な目をこちらに向けながら頷き、話を聞いてくれる生徒たちが沢山いました。その反応から、「こんなにも生徒たちは純粋に私の話を聞き、自分たちの中で噛み砕きながら受け止めてくれるんだ」と驚きました。この経験から生徒たちに自分の思いを伝える大切さを意識しながら現場でも働いています。4月からは、奈良県の正教員として働くことが決まり、桜井高校での経験をいかして前進したいと決意を新たにしています。
桜井高校卒業生 H.M
この度は、桜井高校創立120周年 心よりお祝いを申し上げます。
私は、桜井高校でたくさんの貴重な経験をさせていただきました。
一般コースで入学し、二年次から英語コースに編入しました。英語コースではアメリカから来ていた留学生の女の子がいて一緒に学生生活を送る間に親しくなり、卒業から10年経ったいまでも連絡を取り合っています。
英語コースで勉強し彼女と出会ったことで、もっとたくさんの外国人の方とコミュニケーションを取れるようになりたいと思いその後は外国語大学に進学しました。現在は鉄道会社で勤務をしていますが、外国人のお客様への案内が多く英語は必要不可欠です。桜井高校の英語コースに入っていなければ英語に興味を持つことも無かったかもしれないので、英語コースで勉強することが出来て本当によかったと思っています。
私は鉄道会社に就職して7年目になりますが、大和八木駅のマスコットキャラクター「めえめえちゃん」を考案し、それを用いて電車のヘッドマークや入場券を作成、ホワイトボードを用いて駅周辺のイベント等の紹介をしていました。
そして今回、桜井高校創立120周年記念として記念ヘッドマークを付けた列車が運行されました。その記念ヘッドマーク作成の際、桜井高校の校章の横にめえめえちゃんもいれていただきました。また、その時に合わせて制作された記念入場券も発売することができました。入場券を買いに来られるお客様は在学中の生徒さんから卒業生の方まで様々でしたが、皆さん桜井高校が好きなんだなと強く感じることができました。就職してからもまだ桜井高校に関わることができると思っていなかったので、心から嬉しく思います。そしてやはり桜井高校は皆さん一人一人にとって誇らしい高校であるということを再確認しました。
私は、校歌の一番と二番の歌詞 「学びに生くる」「生くるを学ぶ」の部分がとても好きです。自分なりに歌詞の意味を考えながら、在校生の方にも大切に歌ってもらいたいです。
最後になりましたが、桜井高校のますますのご発展を祈念し、私のお祝いの言葉とさせていただきます。
現在、母校で勤務させていただいておりますのは、3名です。教員として校内理事として、同窓会に関わらせていただいています。
本校養護教諭 藤岡夏枝
桜井高校が創立120周年を迎えるにあたりまして、心よりお慶びを申しあげます。私は33期生、現在養護教諭として本校に9年勤務させていただいています。
高校生の頃を振り返ってみますと、入学し何部に入ろうか校内を散策していたところ、食堂横の古びた建物に吸い寄せられました。そこは新聞部と地歴部等の文化部室、先輩達が熱く意見交換し真剣に学校新聞「ときわ」を制作している姿を目の当たりにし、即入部を決めました。当時新聞部員は各学年で各5~6人くらい、計15人くらいの部員がいたと記憶しています。年3回の発行に向けて載せたい記事や写真、4コマ漫画、連載もの等レイアウトを考え、先輩が後輩をサポートしながら、最後の校正まで全て生徒達で行っていました。中でも印象に残っている企画が、高校生の興味関心の高い「男女間の友情は成り立つか」という討論会。新聞部員や友達に参加してもらい実施したものの、思春期の多感な頃、男女や個人の考えが異なり、意見はさまざま、結局、結論がまとまらず紙面に収めきれず困ったことを覚えています。部活動をとおし仲間と共同作業をしならがら「相手と自分の意見の違いを考えながら人の話を聞く」「人の意見を聞いて自分の考えを修正したり柔軟な心を持つこと」など多くのことを学びました。今こうして母校に赴任させていただき「保健だより」を書く際に、新聞部で得たスキルが生かされているかと思うと感慨深いものがあります。
その他にも、お昼休みに駅前のマルツベーカリーさんによるパン販売があり、私の一押しは、アンフライ、パピロ、ちくわパンで4時間目が終わると競って並び、友と語り合いながら頬張った味は懐かしく思い出されます。
養護教諭として勤務した2020年には、未知の感染症「新型コロナウイルス」が流行しました。学校や生徒を守るためにチーム桜井の一員として、みんなで協力し感染症対策に取り組んだことは印象深いです。
桜井高校は恩師に導かれた母校であり、自ら養護教諭として締めくくる所であり、生徒たちを見守ってきたというかけがえのない場所です。120周年を迎える桜井高校の卒業生として、微力ながらこれからも貢献させていただければ幸いです。最後に、桜井高校のますますのご発展を祈念し私のお祝いの言葉とさせていただきます。
本校体育科教員 中谷拓海
120周年祝いの式に参加して、私が桜井高校生だった時を思い出しました。当時と比べて、食堂が新しくなったり、ほとんどの授業でBYOD端末を使用していたり。どんどん新しい物や制度が増えていく中、かわらないものもあります。制服、校章、授業中に鳴り響く校門前の木に巣を作るサギの鳴き声・・・すべてが懐かしく良い思い出です。
本校国語科教諭 喜多住香
高校時代を桜井高校で過ごした後、教員となって母校で教壇に立たせていただけることは、私にとって本当に幸せなことです。しかも、120周年という節目の年を母校で迎え、120周年祝いの式を、様々な縁(ゆかり)のある方々とともに関わらせていただけたことは、生涯における大変貴重な経験となりました。いろいろな世代の同窓生の方々をはじめ、恩師、保護者の方々、同僚、教え子等々、桜井高校という絆で繋がった方々と、お会いしたりお話ししたりしながら120年の歴史を振り返られたことは、今後の私の人生において大きな糧となることと思います。このような機会を与えていただけたことに、この場をお借りし、感謝申し上げます。
私にとっての高校生活は、多感な時期だったにもかかわらず、悩みも不安もなく、思い存分楽しみ、思いきり羽ばたけた日々でした。部活動は登山スキー部と書道部と写真部に属し、多くの賞をいただき、表彰式や壮行式で称えていただきました。NHK青春メッセージコンクールに出場した際には、全校生徒でテレビ番組を見て応援してくださり、クラスメートたちは、担任の仲谷先生とともに放送局で熱い声援を送ってくれました。テレビ番組を見た有名な芸能事務所から、芸人にならないかとスカウトを受けたこともありました。今もなお、当時の番組を録画したビデオテープが本校に保存されていて、当時の担任の先生のお気遣いに感謝しています。卒業式では吉井校長先生から、ひとりひとり卒業証書をいただいたのですが、受け取る際に、校長先生が、全ての生徒の進学先を記憶され、声をかけられたことは、教師となった今、誰もが真似できることではないと改めて感動し、尊敬する次第です。
素晴らしい恩師や友人に囲まれて過ごした高校生活を思い出しながら、現在在校する生徒たちが、桜井高校生で良かったと思えるよう、微力ながら精進したいと思っております。今後とも、桜井高校の発展のためにご支援賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
120周年祝いの式の企画・運営にあたり、多くの方々とのご縁をいただきました。紹介いたします。
〇九品寺との繋がり・・・
御所市にある戒那山九品寺というお寺をご存じでしょうか。
このお寺は、櫻井高等女学校一期生の鍵田クリヱさん(嫁がれて服部姓になられました)のご息女である服部郁子さんの嫁ぎ先のお寺です。
郁子さんも桜井高校の卒業生です。女学校時代、学校の敷地内に天皇、皇后両陛下のご真影を安置するための奉安殿がありました。
時代の流れと共に、戦に命を捧げた方々の慰霊棟となり、教員や生徒の遺品や遺影を納めるお社となりました。
女学校から高等学校に代わる際、そのお社が壊されることになったわけですが、それに心を痛められた郁子さんが、是非九品寺で供養させてほしいと名乗りを上げてくださったそうです。
月日が流れても、そのご縁により、毎年供養をしてくださっています。今回私は、九品寺に足を運び、過去帳や遺影を見せていただきました。
お名前が書かれた遺品や、写真などを、大切に保管していただいており、100年程前の先輩方の生前のお姿を初めて拝見した私は、お会いしたことのない先輩方にもかかわらず、胸がいっぱいになりました。この方々が、私をこのお寺を訪れるよう促してくださったのかもしれません。
住職の清水様は、これらの品々が、ご遺族のもとに戻られることを願っておられます。もし、女学校に通われていたお身内の方や、お知り合いの方で、何かご存知の方がおられましたら、ご連絡いただきたいとのことです。女学校時代の校舎に使用されていた校章入りの瓦も、花々が彩る美しいお庭に飾ってくださっており、櫻井高等女学校ならびに桜井高等女学校との絆の深さを実感することもできました。
大和三山を見渡せるこのお寺を訪れた際には、桜井高校との繋がりを思い出していただければ幸いです。(文:喜多住香)
九品寺へのアクセス 〒639-2313 奈良県御所市楢原1188