創刊号(昭和61年3月20日木曜日)
20周年を迎える―5月11日記念行事―
 母校、生駒高校も創立以来、早23年が経過し、私たちの樫葉会も、今年で20年を迎えようとしています。
 昨年には、会員の皆さん方のご協力により、念願の同窓会館“樫葉会館”も完成いたしました。また、会員数も8,000人を超え、同窓会としての基礎固めもようやく出来つつあります。
 そこで、この機会に会員の皆さんとともに、この20周年を祝し、併せて同窓会としての機能である会員相互の親睦を今まで以上に図って頂き、ひいては後輩達のため、母校の発展のため、樫葉会とともに力添えをいただきたいと考え機関紙の発行及び、20周年の記念行事を企画いたしました。
 特に、機関紙につきましては、今日までお知らせできなかった樫葉会や母校の状況をお知らせするとともに、会員相互間の情報網的役割をも果たしていきたいと考えております。
 また、20周年の記念行事につきましては、若い方々はもちろん、卒業して長い年月がたち久しく母校を訪れる機会、また、総会に出席されるきっかけもなく心の中では“恩師はどうされているだろうか”“旧友はどうしているかなあ”と思っておられる方々にも、是非、この機会に一度、母校を訪れていただきたく、気軽に出席していただけるようにと力を注いでおります。
 総会を兼ねた記念式典には、母校創立以来の恩師の方々に出席をお願いするとともに、暖かい日差しの中で旧友と楽しく語らって頂けるようにと、樫葉会館前に喫茶コーナーを、また樫葉会館においては、昔懐かしい母校での思い出の写真も展示しています(あなたが写っている写真があるかも)。スポーツをとお思いの方には、テニスコートの開放とラケット等の貸し出しもいたします。また、出席の記念に、旧友との再会の記念に、会場でスナップ写真等をお撮りする予定もしております。
 尚、お子様連れの方々には、お菓子も用意しております。どうかクラス会等とあわせ、ぜひともお友達おさそいあわせのうえ出席していただき、懐かしい母校で恩師、旧友と再会され、一日ゆっくりと楽しく過ごして頂きたいと思います。
 当日は、記念行事以外にも学校において野球部の練習試合も行われる予定です。後輩たちの活躍の姿を応援を兼ねてご覧頂きたいと存じます。

樫葉会発足20周年に想う  会長 吉村弘臣氏
 樫葉会の皆様いかがお過ごしでございましょうか。仕事に家庭に学校にと頑張っておられる事と存じます。
 思い起こせば、昭和38年4月10日生駒中学に於いて第1回入学式を済ませ仮校舎、そして同年9月学校建設の槌音高く響く中、現北館で二学期授業のスタート、同年12月初旬本館棟竣工、39年3月体育館及び正門完成と全容姿を一分の高台に現したのです。「光陰矢の如し」と申しますが、まさにその通り、58年に母校創立20周年の式典を迎え、私たち役員一同も育友会、樫木会(育友会OB役員の会)の皆様方のご協力を得て、記念式典の準備、事業の目標達成にむけ奔走致しました。樫葉会館建設、卒業者名簿発行に際し、ご寄付、ご協力いただきました、会員の皆様方に遅ればせながら不備、間違いのお詫びとともに厚く御礼申し上げます。
 さて別欄でもご案内のように本年5月11日第2日曜日母校で樫葉会20回記念総会を開催いたします。記念事業として建物だけの樫葉会館を一層充実さすために今回外構工事として、入口アーケード、赤レンガ敷きの前庭、平板ブロック敷きの道路、小運動場との仕切りに赤葉樫の生垣などの整備も行います。樫葉会館の現在会員の使用状況は極わずかですが、これを機会にクラス会、クラブOB会等に利用いただければ幸いに存じます。また、会員の皆様より不備を指摘いただきました卒業者名簿をより正確なものにするため、現在追跡調査を実施しておりますが何分8,000名を超える会員数ですので100パーセント完全なものは無理かと思いますが完全なものに近づける様、今後も努力する所存であります。
 当日は母校の家庭クラブと食堂の皆様方からのパーティー用食事のご協力や会員の有志による音楽演奏などのアトラクション、また今回、発刊される同窓会名簿の販売(一冊3,500円)など多くの企画が計画されています。長い間母校へ訪れたことのない方、これを機会にぜひとも5月11日の総会に参加され、久しぶりに友情を温めようではありませんか。母校もずいぶんと変わりました。
 最後に今回の樫葉会の会報創刊号を発行するにあたり投稿いただきました皆様に厚く御礼申し上げますと共に今後、回を重ねるごとに内容の充実したものを発行致したく存じます。今回の記念事業で資金もそこをつく状態ですが、一日も早く資金の回復を図り会員の皆様のご期待にそえる樫葉会にしたいと役員一同頑張る所存でありますが役員の力では限られたものです。皆様の温い御理解と御支援なしでは成し得ません。御協力も重ねてお願い致すと共に皆様の御活躍と御健勝を祈願いたします。

樫葉会館 遂に完成
母校創立20周年に合わせ待望の樫葉会館が完成しました。(昭和58年秋)会員の皆様、是非御利用を!

樫葉会館

 樫葉会館概要

①構造 木質パネル構造
 基礎 鉄筋コンクリート
②外部仕上
 屋根 カラーベストコロニアル葺
 外壁 色モルタルカキ落シ
 ポーチ 床タイル貼
 建築設備 電気・給排水衛生(浄化槽)・冷暖房
③建築面積  48.85㎡
 1階床面積 47.20㎡
 2階床面積 48.86㎡
 延床面積  96.06㎡
 ポーチ    1.65㎡
④建設工事費 約12,000,000円
⑤利用状況
 樫葉会役員をはじめとして在校生クラブ活動・合宿・クラス会・校内カルタ会等、頻繁に利用されている。利用方法は樫葉会事務局に電話し予約すれば結構です。予約がつまってない限り無料でご利用いただけますので、どしどしクラス会など催し下さい。詳しくは樫葉会事務局にお尋ね下さい。お待ちしております。


第8代目校長 金沢運先生の言葉
 開校当初から高遠な建学の精神を立て旅立って行った第一期卒業生、そして先輩の偉業を後輩に伝えた多くの卒業生の皆さんが年に一度、総会という機会に学び舎に帰り青春時代に思いをはせ来る5月に樫葉会第20回記念総会を迎えたことは、まことに意義深く大きな喜びであります。
 この間、時代は激変し生駒高校もほとんどが進学希望者という学校へと変容してまいりました。しかしかわらないのは校章・校歌にも表されるように樫の葉のような堅い意志を持ち何事にも粘り強くチャレンジしてゆく本校の伝統だと信じます。
 生駒高校の校訓である『剛毅・敬愛・創造』という言葉は前半期の卒業生ならご存じないと思います。校訓とは学校開設の段階で作るものでしょうが本校では開校十余年した年に作られました。つまり普通とは逆の方法ですなわち本校生の生き方から生まれた校訓といえるのです。まさに『うつし身』といえるこの校訓は一星霜を経ようとする今も生徒諸君の血肉となって生き続け輝いています。
 今日まで本校を支えていただいた同窓会が今後も発展を続けることを念じてやみません。

母校創立20周年記念式典行われる
 去る昭和58年11月5日本校体育館において創立20周年記念式典が華々しく行われた。当日は上田繁潔奈良県知事をはじめ、前川生駒市長、教育関係者、旧職員など多くの来賓の方が来校し吹奏楽・コーラスの演出もあり祝典は盛りあがりを見せた。また創立20周年にあわせて、この年にはさまざまな記念行事・事業が行われた。記念植樹として本館から大運動場の斜面に植えられた柘植による大文字『IKOMA』は圧巻であり卒業アルバムに載せる航空写真でも鮮やかに読み取ることができる。また各種の支援団体の協力も忘れてはならない。まず我が樫葉会からは同窓会館(樫葉会館)を寄贈した。樫葉会が積み立ててきた会費と卒業生らの協賛金によって建てることができた。創立20周年目にして同窓会館を建てた高校は県下でも他に例がなくテープカットのときの同窓会長の感慨もひとしおであったと思われる。次に卒業生の保護者よりなる樫木会(昭和56年発足)からは式典用にと高価な金屏風の寄贈や噴水周辺の整備という形で協力をいただいた。さらに在校生からの協力金、育友会関係者による募金活動など、どれをとっても生駒高校を支援するためにご尽力をいただいたものであり関係者一同、感謝の意を表したいと思う。
 『有志者竟事』(志あるもの、事ついに成る)知事が創立20周年記念に際して本校に送られたこの言葉どおり、これを節目に益々の発展を期待したい。

いこまおろし
 久しぶりに母校から生駒山を眺め、なつかしき校歌“朝日たださす 生駒山脈……つゆけき生命 日々につちかい 校章象徴す 樫かたき木の 強き意志もて……”を口づさむうちに心なしか感傷にひたりました。▼あの山並、生駒山から吹き降ろす生駒おろし、なにもかも昔のままです。変化したのは、時が過ぎてしまったこと!何かエアー・ポケットの中にいるように心の中は高校時代と同じ気持ちに!▼しかし、現実は厳しい。卒業してもう18年。はかなくも30代後半へと、自らの体力の衰えを感じ?ジョギングに精を出す日々が。▼さて、樫葉会も今年で満20年、人間であればようやく成人式を迎え、新たな旅立ちを要求される年となりました。母校の躍進と共に樫葉会人である我々も社会にて大いに活躍したいものです。▼先日、同窓会名簿作成のため、住所確認用返信はがきを見ていたところ、北は北海道、南は沖縄までさらには海外からも活躍の便りが。同じ同窓生として、何かうれしくまた頼もしく。ここにも樫葉会人としての魂が!

同窓会だより
<座談会>
 現在、母校で勤務されている4人の樫葉会会員の方々によって母校の現状等について話し合っていただきました。

川端(田中)秀美・8期生・実習職員○岡田昌樹・11期生・教諭○宮本圭一郎・13期生・教諭○清原淳・14期生・事務

岡 田クラス会はよく開いていますか。
川 端昔はよく開いてたけど、この頃はずいぶんごぶさたですね。
清 原僕のところは毎年開いてるようですね。僕はあまり出てないけど。
宮 本幹事をしてくれる人がだんだん仕事で忙しくなってきたことや女の子などは結婚して家庭に入ってしまうとなかなか出られないようになるのもクラス会が盛んにならない原因ですね。
岡 田ところで生駒高校をとりまく環境がずいぶん変わりましたね。
清 原高校をかこむように南には中学校、東には小学校、北東には幼稚園が建設されましたね。
宮 本やはりこの近辺の人口が急激に増えているせいでしょう。現に東生駒の住宅地がどんどん南に延びて生駒高校のすぐ裏にまできてますからね。
岡 田全県的に見ても高校生は昭和64年まで急増の傾向にあります。僕の在学のときは1学年に9クラスでした。その後、8クラスに戻り、また昨年から9クラスに変更されました。
川 端生徒の増加に対応できる校舎の増設をして欲しいですね。ずいぶん、校舎はいたんできましたから。
清 原そういえば昨年、校舎の屋根のモルタルが落ちるということもありましたね。
宮 本生徒増に対応して教室の変更もありました。本館の3階の一番東に音楽室がありましたが後に社会科教室となり、昨年から普通教室となりました。音楽室はプレハブで長い間、辛抱してもらいましたが、やっと近代的なものが新設されるそうですね。
岡 田また人口増に対応して高校も新しく新設されました。生駒高校の北東には富雄高校、南には信貴ヶ丘高校とね。
川 端高校が増えた為か生徒の通学区域が狭くなりましたね。私の頃だったら柳生や橿原や桜井方面から友達が通ってましたけどね。
宮 本今は生駒市・生駒郡、奈良市西部、大和郡山市などで大多数を占めてますね。
岡 田そのためか中学校時代の友人同志が、そのまま生駒高校に入学して入学当初から和気あいあいにやってますね。
宮 本昔に比べれば服装や頭髪もきちんとできてますが今の生徒は何かパッとしないと思いませんか。
清 原皆、同じような流行の頭髪をして個性のようなものがありませんね。
宮 本それに何か要領が良くなったと思います。先生に注意されたら素直に聞き入れるのに、後になっても全然、変わらないとか。
川 端そういう高校生は生駒高校だけでなく全国的に言えるのではないでしょうか。
岡 田“甘えの時代”とでも言えるわけですね。先生も昔に比べて少し優しくなったしね。
宮 本昔の先生はユニークな人が多かったね。例えば、高橋先生、新井先生、南島先生、北野先生など、あげればきりがないけれど。
清 原そうですね。ユニークな先生のエピソードなどクラス会での語り種になってますからね。
川 端今の生駒高校はそんな先生が少ないのではないですか。
岡 田確かに今の職員室をのぞいてもらえばわかりますが、ベテランで味のあるという先生は少ないです。逆に若い先生、特に若い女性の先生が多いですね。
宮 本職員室の平均年齢が32歳と聞いています。まるで小・中学校のような職員室ですよ。
川 端生徒と年齢があまり離れていない分、コミュニケーションがうまくいくのじゃないですか。
岡 田以上、母校の環境・生徒・先生等について変わりゆく姿を見てきましたが、これからが楽しみですね。


恩師・旧友からのたより

初代生徒会長・1期生 井村(瀬川)育子 おめでとうございます。光陰矢の如し。20年たったのですね。あの頃の私たちは学校内だけでなく、どこへ行っても「新設校なんだから…」「1期生なんだから…」と言われ続け、校則と自己規制で、がんじがらめにされていたような気がします。子育てを終え、今やっと、あの頃の先生方の決意と努力、そして苦労が理解できました。最初の第一歩、最初の3年がいかに大切であるかを。あの頃はあまりの不自由さに唯、反発ばかりで、さぞ先生方を手こずらせたと思います。遅ればせながら「ごめんなさい」と「ありがとう」を言わせて下さい。
 高校生活――とても懐かしい青春の1ページです。来る日も来る日も運動場(あの頃は校舎だけが立派に出来上がっていましたが運動場とか諸設備は草がおいしげっていた)の草ひきや石ころひろいで、うんざりするような作業の連続だったはずなのに、それさえもとても楽しく思い出されます。クラブでしごかれた事、運動会、修学旅行、定期考査、恋もしたり失恋も、友人を傷つけたり傷つけられたり、悩み苦しみ泣いたことも笑ったことも……皆んな何かに夢中でした。本当に若いというそれだけでキラキラと輝いていたように思います。第1期生は今38才になりましたが皆んなバリバリと頑張っています。まだまだ色褪せていません。生徒諸君も負けずに頑張ってくれることを期待します。先生方、お変わりございませんか、いつまでもお元気で御活躍下さい。

西野俊夫初代校長先生(昭和38年~41年) 樫葉会という名は私が付けました。20年経ても頑張っているようで喜んでいます。また生駒高校に対する世間の評価も高くなりつつあり誇りに思っています。今でも生駒高校の制服やバッジを町で見かけると親近感を覚え、在職時の思い出や苦労話がよみがえってきます。

藤井敬三先生(昭和52年~59年)
 公立の教員として初めて生駒高校に着任して以来7年間、教師としていろいろ勉強させてもらいました。転勤後も卓球部の顧問をし一日も早く生駒に追いつこうと頑張っています。

遠藤先生(昭和40年~54年)
 25歳で着任した時は学生運動の激しい時でもあり若さの限りを出し切った。若草国体の国体旗の旗手が生駒高校生であったので感激した。

綛田聒子先生(昭和38年~42年)
 私は開校以来4年間在職した後、公職を退いて自宅で音楽教室を開き生駒高校生も何人か居て下さいます。この年になっても正に青春と思っています。

高橋俊二先生(昭和38年~51年)
 フロンティア精神で、教師と生徒が一体となって学校を創っていった。そして、生徒が3年間何かに命をかけて取り組めるような学校にしていってもらいたい。

奥田義則先生(昭和43年~58年)
 昭和46年~47年の同和教育の指定校となり、教師と生徒が共に頑張って学びあった。

吉田員己 1期生 現在、「ギフトショップヨシダ」を経営しています。
 最近、母校もレベルアップしていると聞いている。樫葉会にぜひとも出席し、母校で同窓生と再会したい。

駒井源良・久美(旧姓木平) 1期生 母校の思い出としては、やはり開校時だったので仮校舎のことや、先生・生徒が一体となって運動場の整備を行ったことです。
 今後は樫葉会を中心に開校時の精神を思い起こし同窓生皆んなが結束して母校を盛り立てていくべきだと思います。
 現在「コンフォート駒」「ザ・サブラム・コーヒーαパブハウス」を経営。
 母校の卒業生には割引していただけるそうですので、いろいろな会合にご利用を!とのことです。

田中利洋 21期生 振り返ってみて、よかったと思うことは、自然環境のすばらしさはもちろんのこと、良き先生方や友人に恵まれ、充実した高校生活が送れたこと。
 これからも、生駒高校を我々の手で暖かく支援していきましょう。

杉岡裕子 21期生 文化祭、修学旅行、雪かきなどが良い思いでです。特に、クラブが強い印象となって残っています。
 樫葉会も20周年を迎えることとなりました。20周年をめどに、何か飛躍できれば……と期待しています。

北野修先生(昭和40年~56年)
 生徒と一緒になって、生徒指導部長として、共に学校をつくったこと、野球部と共に16年、生徒と走った体育大会、今はすべて、良い思いでです。
 樹木の成長が、生駒高校の歴史を物語っています。この歴史のもと、勉強面、運動面すべての面に、さらに発展してくれんことを祈ります。

森浅江先生(昭和38年~60年)
 私の思い出として、坂谷校長先生の時、職員の仲間と皆でわいわいやれ、また生徒も「おばちゃん」と言ってなついてくれ仕事に張り合いを持っていたことです。現在は家事に従事し、学校のことを思い浮かべながら毎日元気に頑張っています。

池田裕子先生(昭和57年~59年)
 現在、県立西の京養護学校に勤務しています。去年夏、かわいい長女悠衣ちゃんが生まれました。母校の思い出として、1年目は、生徒のつながりを深く感じた時期、2年目は、世代に距離を感じたことです。
 最後に生駒高校に対して、輪(和)を作りつつ一人立ちできる人間を育てる環境に、生徒に対して、校歌を歌えるように!!(夫・池田晶雄先生からのメッセージ)

阪上日出雄 12期生 現在、奈良市役所の建築課で工事を担当しています。仕事柄、利害のからむ人間関係が多く精神的負担が大きい日々ですが、一日一日が充実した日となるよう頑張っています。

堀田孝司 1期生
 昭和49年、26歳で結婚し、現在二男一女の子持ちです。先日、ハイキングで富雄より南生駒まで歩いたとき、母校を見、すごくなつかしく思いました。

更谷泰吉 3期生 生駒山と矢田丘陵の谷間をマッチ箱のような電車に押しこまれ、一分の無人駅から田畑の畦道を冬は生駒おろしを、夏はかえるの声を聞きながら通学しました。今、すべてがなつかしく思えます。20周年の総会には、ぜひとも出席し旧友と再会したいと考えています。

西山忠夫 6期生
 現在、奈良パンダード㈱を経営しています。在学中は悪友と騒いだ事、一生懸命勉強しなかったことが良き思い出です。

後藤充考 6期生
 在学中の思い出は恋、友人、先生、修学旅行かな?母校建学の精神を持って今も頑張ってます。樫葉会の一層の発展をお祈りします。

<現職(昭和61年当時)の先生方のメッセージ>
西岳重貞さん
(食堂) 1期生が2年生の時に父親の手伝いで始めて今に至ります。私の妹が樫葉会の2期生です。生徒さんたちに道で挨拶されるとうれしいものですね。

竹本真澄さん(購買) 勤めて12年目になります。昔の生徒さんは人間味がありました。よく生徒さんのボタン付けをしながら、おしゃべりをしたのを覚えています。今の生徒さんはドライですね。

柳林和美先生 生駒高校に着任して3年目。家庭クラブの顧問をしています。樫葉会総会のときには在校生の女の子達が一生懸命作った手作りの料理が出ます。もちろん無料ですのでぜひ皆さんに食べに来て下さい。

藤岡明先生 生駒高校に着任して11年目。樫葉会については職員の中に会員がいるようになってから、より活発になりましたね。

――多くの寄稿ありがとうございました。都合上、未掲載をご了承下さい。――


後輩達の活躍
 3年前に野球部が春季大会で優勝したことは卒業生の方ならご存知と思います。またハンドボール部も昨年度の秋季大会で男子が優勝を果たしました。今年度は女子バレーが念願のベスト4にはいるなど各クラブとも活躍しています。また顧問の先生として軟式テニス部には池内・宮本先生、剣道部には鶴田先生、バスケット部には西谷先生など体育の先生以外にも各スポーツの専門の先生が着任され、ますます盛んになりつつあります。文化部のほうでは声楽の古川先生が着任されてコーラス部がよみがえりました。また吹奏楽部も近年になって50名を超える部員を持ちコンクールでも優秀な成績をあげ定期演奏会を開けるようになりました。その他、同好会としてはサッカー、硬式テニス、少林寺拳法等、多くのサークル活動が生まれ、ますますクラブの発展が期待できます。

編集後記
 “昔とったきねづか”といいますが、樫葉会役員の中で新聞部に席を置いていたのはたった1人、しかもそれがまたいつもサボッていたのですから、手におえません。“割付けはどうだ”とか“見出しはどうだ”とか、また記事を依頼するのにも要領を得ず、不安・不安の発行と!これならばもっと…と後悔先に立たず。会員の皆さんには、苦笑されているかも!しかし結果はどうあれ一応発刊までこぎつけ、これからの礎となればと編集にあたった者一同考えております。
 なお、樫葉会へのご意見・ご要望等がありましたらお気軽に事務局まで。